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ユース語り部が持つ心のケア「力」& 防災教育推進「力」向上事業 :「場所をつなぐ」語らいの場 ― まじわる、語り部と聞き手 ―(仙台)

 3月25日(土)、せんだい3.11メモリアル交流館にて、『「場所をつなぐ」語らいの場― まじわる、語り部と聞き手 ―』を開催した。11月に高知、1月に神戸で開催し、3回目となった今回、30名(対面19名、オンライン11名)が場に集った。この中には、東日本大震災の語り部や神戸で防災活動を行う若者、愛媛県西予市で豪雨災害を体験し語り部として活動する中学生らがいた。冒頭、当法人の代表理事である浦島が挨拶し、これまでの経緯を諏訪氏(防災学習アドバイザー・コラボレーター)が説明した。

 語らいの場とは、語り部も聞き手もお互いが誰であるかがわかっている場(匿名性のない場)、語り部の語りに誘発されて聞き手も自らの体験を語ってもよい場、語り部も聞き手も語らないことが尊重される場のことである。今回も、最初に全員が自己紹介し、どういう経緯でこの場に来ているのかを全員に共有したうえで、高橋未宇さん、永沼悠斗さんの語りに場を委ねた。

 高橋未宇さんは生まれつき脳性麻痺による車椅子ユーザーで、東日本大震災当時、小学校5年生だった。高橋さんは、事前の訓練通りに先生に抱えられて校庭に避難ができたことを「避難訓練の本番」と呼ぶ。そして、避難や防災に関わる様々なハードル(妨げ)について触れながら、顔の見える関係づくりや逃げなくてもよくなるような災害に強いまちづくりによって、みんなが幸せに生きること、みんなで生き延びることができる社会の実現を「防災=福祉」の視点で語ってくれた。

 永沼悠斗さんは当時、高校1年生だった。津波からの避難者が高校にも多く来たことから、先生らと協力して避難者を誘導した体験や、食べ物がない中で豆腐にケチャップをかけて食べたが美味しくなかった体験から、事前に備えておくことの重要性を伝えてくれた。そして何よりも永沼さんを動かしているのは後悔だという。3.11の2日前にも地震があったが、家族で津波のことを話題にしなかった。もし話題にしていればとの思いである。最後に、これからも若い語り部が活動し続けられるように、仕事をしながらでも活動ができるようになるための周囲の理解がより一層進めばと語った。

 2人の語りを聞き、それを聞く人も語り出す。語りが語りを誘発していくのが語らいの場である。その中には、語りに頷くだけという、聞き手の語り方もある。聞き手の一人は、ある車椅子ユーザーが「海辺にいたら諦めるしかない」と話していたことが紹介された。「どんな声がかけられたのだろうか」。これに対し、高橋未宇さんは「誰でも漠然とした不安を持っていることが多い。その可能性や状況を具体的に整理し、対策として何が必要なのか、何ができるのかを考えていけば、諦めなくても、できることは必ずあるはず」状況を具体化する必要性と有効性について述べた。個別避難計画によって助け合える避難体制づくりが進んでいる。しかし自分の命を危険に晒すことをお願いすることになり「頼みにくい」。家やまちが流されてしまい昔のことが思い出せなくなった。「津波で記憶が流されてしまった」。

 語り部による語りが、聞き手の語りを誘発する。そのことで、語り部は自分の体験が伝わっていると実感できる。そして聞き手も自らの体験と向き合ったり、語り出すきっかけになる。東日本大震災、阪神・淡路大震災、西日本豪雨の語り部たちが仙台でまじわって、新しい語り部と聞き手のつながりを生む、語らいの場となった。

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